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基底関数系の収束性と誤差要因:BSSEとCBS極限
last_modified: 2026-01-21
1. 概要 (Overview)
分子軌道法において、未知の分子軌道 は、既知の原子軌道関数(基底関数) の線形結合 (LCAO) で展開される。 原理的には (完全基底系)においてシュレーディンガー方程式の解は基底関数依存性を失うが、実用計算では有限の で打ち切る必要がある。この打ち切りに起因する誤差と特性を定義する。
2. 基底関数の系統 (Families of Basis Sets)
2.1 Pople系 (例: 6-31G*)
Gaussian型の短縮基底を用いた、歴史的かつ実用的な標準セット。
- 特徴: 計算コストと精度のバランスが良い。有機化学反応の定性的な探索(構造最適化など)に適する。
- 限界: 電子相関を取り込むための系統的な拡張性に欠け、高精度計算(CCSD(T)等)には不向き。
2.2 Dunning (Correlation Consistent) 系 (例: cc-pVTZ)
電子相関エネルギーを効率的に回収するように最適化されたセット。
- 特徴: Double (cc-pVDZ), Triple (cc-pVTZ), Quadruple (cc-pVQZ) とサイズを上げるにつれて、エネルギーが系統的かつ単調に真の値へ収束するよう設計されている。
- 用途: 定量的なエネルギー計算、CBS極限への外挿に必須。
3. 基底関数重なり誤差 (BSSE: Basis Set Superposition Error)
分子間相互作用エネルギー(例:ダイマー の結合エネルギー)を計算する際に生じる、人為的な安定化誤差。
3.1 メカニズム
相互作用系 を計算する際、分子 は自分自身の基底関数だけでなく、近接する分子 の基底関数も「借りて」電子記述を改善してしまう。 一方、単体の分子 を計算する際は、分子 の基底関数を利用できない。 結果として、複合体 のエネルギーが、単体 の和よりも人為的に低く(安定に)算出され、結合エネルギーが過大評価される。
3.2 解決策:Counterpoise法 (CP補正)
BoysとBernardiにより提案された補正手法。単体 のエネルギー計算を、**「分子 の原子核はないが、基底関数だけが存在する(ゴースト軌道)」**状態で行う。 これにより、単体計算においても複合体と同じ基底関数空間を利用させ、エネルギー差の基準を統一する。
4. 完全基底系極限 (CBS Limit)
電子相関計算において、基底関数不全による誤差を取り除くための外挿手法。 Dunning系基底関数の階層性()を利用し、 のエネルギーを推定する。
一般的な外挿式の例(Helgakerの式など):
- 戦略: 有限のコスト(例えば cc-pVTZ と cc-pVQZ)で計算した結果から、無限のコストがかかる理論的極限値を推定することで、実験値と比較可能な精度を得る。
結論 (Conclusion)
計算精度の二軸である「相関レベル(理論レベル)」と「基底関数レベル」は独立ではない。
- 高度な相関手法(CCSD(T)など)を用いる場合は、それに見合った高品質な基底関数(cc-pVTZ以上)を使用しなければ、相関エネルギーの記述は無意味となる。
- 分子間相互作用を議論する場合は、必ずBSSE補正(CP法)を行うか、BSSEが無視できるほど巨大な基底関数を使用する義務がある。
基底関数系の収束性と誤差要因:BSSEとCBS極限
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