Home
955 words
5 minutes
密度フィッティング (Density Fitting, RI近似):DFT計算の高速化アルゴリズム

last_modified: 2026-01-21

1. 概要 (Overview)#

Hartree-Fock法やDFT計算において、計算時間のボトルネックとなるのは、電子間反発エネルギーを算出するための 4中心2電子積分 (ERI: Electron Repulsion Integral) の計算である。 (μνλσ)=ϕμ(1)ϕν(1)1r12ϕλ(2)ϕσ(2)dr1dr2(\mu\nu|\lambda\sigma) = \iint \phi_\mu^*(1)\phi_\nu(1) \frac{1}{r_{12}} \phi_\lambda^*(2)\phi_\sigma(2) d\mathbf{r}_1 d\mathbf{r}_2 基底関数数を NN とすると、この積分の数は O(N4)O(N^4) で増大する。 密度フィッティング(またはRI近似: Resolution of the Identity)は、電子密度の積 ϕμϕν\phi_\mu \phi_\nu補助基底関数 (Auxiliary Basis Set) で展開することで、このコストを O(N3)O(N^3) にまで劇的に低減する手法である。

2. アルゴリズム (Algorithm)#

2.1 電子密度の近似展開#

通常の軌道積(電子密度分布)ρμν=ϕμϕν\rho_{\mu\nu} = \phi_\mu \phi_\nu を、補助基底関数 KK の線形結合で近似する。 ρμν(r)ρ~μν(r)=KcμνKχK(r)\rho_{\mu\nu}(\mathbf{r}) \approx \tilde{\rho}_{\mu\nu}(\mathbf{r}) = \sum_K c_{\mu\nu}^K \chi_K(\mathbf{r}) ここで χK\chi_K は、軌道基底関数(Orbital Basis)とは異なる、フィッティング専用の補助基底関数系である。通常、軌道基底よりも数が多い(約3倍程度)が、単純な構造を持つ。

2.2 4中心積分の分解#

この近似をクーロン積分の式に代入すると、4中心積分は「3中心積分」と「2中心積分」の積に分解される。

(μνλσ)K,L(μνK)(KL)1(Lλσ)(\mu\nu|\lambda\sigma) \approx \sum_{K,L} (\mu\nu|K) (K|L)^{-1} (L|\lambda\sigma)

  • (μνλσ)(\mu\nu|\lambda\sigma): 4中心積分。計算コスト O(N4)O(N^4)
  • (μνK)(\mu\nu|K): 3中心積分。計算コスト O(N3)O(N^3)
  • (KL)(K|L): 2中心積分(逆行列)。計算コストは小さい。

この分解により、特に巨大分子における純粋DFT(Pure DFT)計算のコストは削減される。

3. Gaussianにおける Auto キーワード#

Gaussianなどのプログラムで DFT 計算を行う際、キーワードに Auto と指定される場合がある。

  • 記述例: #P PBEPBE/6-31G(d)/Auto
  • 意味: 「電子反発積分の計算に密度フィッティングを使用する。その際に使用する補助基底関数系 (χK\chi_K) は、指定された軌道基底関数(この場合は6-31G(d))に対応する最適なものを自動選択 (Auto) せよ」
  • 内部挙動: プログラムは、6-31G(d) に対応する「DGA1」や「W06」といった補助基底関数セットを自動的にロードし、それを用いて近似計算を行う。 これを知らないと、ログファイルに意図しない基底関数(Auxiliary basis)が出現し、混乱する原因となる。

4. 適用範囲と注意点 (Scope and Limitations)#

4.1 Pure DFT vs Hybrid DFT#

  • Pure DFT (PBE, BLYP等): クーロン項(J)のみが必要なため、密度フィッティング(RI-J)の効果が最大化され、精度劣化もほぼ無視できる (10510^{-5} Hartree以下)。
  • Hybrid DFT (B3LYP等) / HF: 交換項(K)の計算が必要となる。交換項に対するフィッティング(RI-JK)は計算コスト削減効果がJ項ほど大きくなく、アルゴリズムも複雑になるため、場合によってはフィッティングを行わない(あるいはJ項のみフィットする)方が有利なこともある。

4.2 補助基底関数の適合性#

密度フィッティングの精度は、軌道基底関数に対応した適切な補助基底関数を選ぶことに依存している。

  • 標準的な基底(Pople系, Dunning系)には対応する補助基底(/J, /JK, /MP2 など)が整備されている。
  • 特殊な基底や自作の基底を使う場合、Auto が機能せず、適切な補助基底を手動で指定するか、フィッティングをオフにする必要がある。

結論 (Conclusion)#

密度フィッティングは、物理モデルの変更(近似)ではなく、**「数学的な積分の効率化」**である。 適切に使用すれば、化学的精度を損なうことなく計算時間を数分の一に短縮できる。Gaussianで Auto を見た際は、「手抜き」ではなく「適切な高速化オプションが選択された」と解釈するとよい。

密度フィッティング (Density Fitting, RI近似):DFT計算の高速化アルゴリズム
https://ss0832.github.io/posts/20260121_compchem_density_fitting/
Author
ss0832
Published at
2026-01-21
License
CC BY-NC-SA 4.0

Related Posts

密度汎関数理論 (DFT) の階層構造:ヤコブの梯子と自己相互作用誤差
2026-01-21
波動関数理論とは異なる進化系統を持つDFTにおける精度の階梯(ヤコブの梯子)を定義する。LDAからDouble Hybridに至る近似の深化と、DFT固有の欠陥である自己相互作用誤差(SIE)のメカニズムについて記述する。
完全自動化された二次摂動論による非調和振動特性の算出:理論的枠組みと実装(改訂版)
2026-01-21
Vincenzo Barone (2005) による二次振動摂動論 (VPT2) の自動化実装に関する研究の解説。調和近似の限界とVPT2の役割、数値微分による非調和力場の構築、およびフェルミ共鳴の処理について詳述する。
結合容量-電気陰性度平衡電荷モデル (EEQ_BC): 原子番号Z=1-103のための包括的電荷モデルとその数理的・歴史的背景
2026-01-20
原子部分電荷の計算における長年の課題である「人工的な電荷移動」を解決するために提案されたEEQ_BCモデルについて、その歴史的背景、数理的導出、および実利的な成果を詳細に解説する。
DFT計算における分散力補正の精度評価:GrimmeのD2, D3, D3BJ法とヘテロ原子含有分子への適用限界
2026-01-19
Tsuzuki & Uchimaru (2020) による、炭化水素およびヘテロ原子(N, P, O, S, Se, F, Cl, Br)を含む分子錯体の相互作用エネルギーに対するDFT分散力補正(D2, D3, D3BJ)の網羅的ベンチマーク研究の解説。汎関数依存性とヘテロ原子に対する精度の低下要因について、スケーリング因子の観点から論じる。
密度汎関数法における赤外吸収強度の理論的基盤:エネルギー混合二次微分と原子極性テンソルの接続
2026-01-05
密度汎関数法(DFT)を用いた赤外(IR)スペクトル計算において、振動数計算(ヘシアン行列)と対比してブラックボックス化されがちな「吸光強度」の算出プロセスについて、その数理的背景を詳細に解説する。特に、一般に I ∝ dμ/dQ と略記される遷移双極子モーメント項Iが、実際にはエネルギー E の核座標 R および外部電場 F に関する混合二次微分(原子極性テンソル)として定義され、空間平均化を経てスカラー量として導出される過程を、基礎理論から厳密に導出する。
密度汎関数法におけるラマン散乱強度の理論的基盤:エネルギー三次微分とCPKS方程式の役割
2026-01-05
量子化学計算におけるラマン散乱スペクトルの算出プロセスについて、その数理的背景をエネルギー微分の観点から詳細に解説する。赤外(IR)強度がエネルギーの混合二次微分(原子極性テンソル)であるのに対し、ラマン強度はエネルギーの三次微分(分極率の核座標微分)として定義される。本稿では、計算コストを劇的に低減させる「2n+1則」の適用と、Coupled-Perturbed Kohn-Sham (CPKS) 方程式を用いた解析的微分法のアルゴリズムを体系化し、ブラックボックス化された計算内部のロジックを解明する。