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原子単位系 (Hartree Atomic Units):定義、物理的意義、および換算係数
last_modified: 2026-01-21
1. 概要 (Overview)
量子力学的な微視的スケールにおいて、SI単位系(kg, m, s, J)は数値の桁が極端に小さくなり(例:電子質量 kg)、取り扱いに不便である。 また、数式中に物理定数()が頻出し、記述が煩雑となる。 これを解決するため、計算化学ではこれらの基本定数をすべて 「1」 と置く Hartree原子単位系 (a.u.) を採用する。これにより、方程式は無次元化され、数値計算上の誤差(アンダーフロー等)も抑制される。
2. 基本単位の定義 (Base Units)
以下の4つの物理定数を、原子単位系における「1」と定義する。
| 物理量 | 記号 | 定義 (a.u.) | SI単位系での値 (近似値) |
|---|---|---|---|
| 質量 | 電子静止質量 ( kg) | ||
| 電荷 | 素電荷 ( C) | ||
| 作用 (角運動量) | ディラック定数 ( J s) | ||
| 静電定数 | クーロン定数 ( N m C) |
この定義により、非相対論的シュレーディンガー方程式(水素原子)は以下のように極限まで単純化される。
3. 組立単位と換算係数 (Derived Units and Conversions)
基本単位の組み合わせにより導出される、実用上重要な単位群である。 ※以下の換算値は2022年CODATA推奨値に基づく。
3.1 長さ (Length): Bohr
- 単位名: Bohr (または )
- 定義式:
- 物理的意味: 水素原子の基底状態におけるボーア半径。
- 換算:
3.2 エネルギー (Energy): Hartree
- 単位名: Hartree (または , Ha)
- 定義式:
- 物理的意味: 水素原子の基底状態のポテンシャルエネルギーの絶対値(結合エネルギーの2倍)。
- 換算 (重要):
- (波数)
3.3 時間 (Time)
- 単位名: atomic unit of time
- 定義式:
- 物理的意味: 電子がボーア軌道を1ラジアン回転するのに要する時間。極めて短時間であり、アト秒 ( s) 領域のダイナミクスで重要となる。
- 換算:
- ( as)
3.4 速度 (Velocity)
- 単位名: atomic unit of velocity
- 定義式:
- 物理的意味: 水素原子の基底状態における古典的な電子速度。光速 との関係は微細構造定数 で表される()。
- 換算:
3.5 双極子モーメント (Electric Dipole Moment)
- 単位名: atomic unit of dipole moment
- 定義式:
- 物理的意味: 単位電荷 と が 1 Bohr 離れた時の双極子モーメント。
- 換算:
4. 注意点 (Notes)
- Rydberg単位との混同: 分光学ではRydberg単位 () が用いられることがあるが、量子化学プログラム(Gaussian, GAMESS等)の出力は原則として Hartree である。係数 の取り違えに注意すること。
- 分子構造の出力: 座標データは入力がAngstromであっても、内部計算および出力ログ(アーカイブ)ではBohrに変換されている場合が多い。可視化ソフトなどで読み込む際に単位系の指定を誤ると、分子が約半分 (倍) に潰れて表示される。
結論 (Conclusion)
計算化学プログラムの出力ログを解析する際は、以下の換算係数を定数として実装することが推奨される。
- Length:
Bohr * 0.529177 -> Angstrom - Energy:
Hartree * 627.509 -> kcal/mol(反応熱議論用) - Energy:
Hartree * 27.2114 -> eV(軌道エネルギー議論用)
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