Home
885 words
4 minutes
密度汎関数理論 (DFT) の階層構造:ヤコブの梯子と自己相互作用誤差

last_modified: 2026-01-21

1. 概要 (Overview)#

密度汎関数理論 (Density Functional Theory, DFT) は、電子系を波動関数 Ψ\Psi ではなく電子密度 ρ(r)\rho(\mathbf{r}) の汎関数として記述する手法である。 Hohenberg-Kohnの定理により、基底状態のエネルギーは電子密度により一意に決定されることが保証されているが、その具体的な関数形(特に交換相関汎関数 Exc[ρ]E_{xc}[\rho])は未知である。 したがって、DFTの精度はこの ExcE_{xc} をどのように近似するかに依存する。この近似の階層はPerdewにより「ヤコブの梯子 (Jacob’s Ladder)」と命名されている。

2. 近似の階梯:ヤコブの梯子 (Jacob’s Ladder)#

梯子を登る(近似レベルを上げる)ごとに、計算コストは増加するが、物理的な記述能力が向上する。

Rung名称依存変数特徴と欠点代表的汎関数
5Double Hybridρ,ρ,τ,χHF,χPT2\rho, \nabla\rho, \tau, \chi^{HF}, \chi^{PT2}非占有軌道の情報(摂動論的相関)を含む。ロンドン分散力などの記述に優れるが、高コスト。B2PLYP
4Hybridρ,ρ,τ,χHF\rho, \nabla\rho, \tau, \chi^{HF}HF交換項(Exact Exchange)を一定割合で混合。反応障壁やバンドギャップの精度が劇的に改善。現在の標準。B3LYP, PBE0, ωB97X-D
3Meta-GGAρ,ρ,τ\rho, \nabla\rho, \tau運動エネルギー密度 τ\tau を導入。より物理的に柔軟だが、数値積分が不安定になる場合がある。TPSS, M06-L
2GGAρ,ρ\rho, \nabla\rho密度の勾配(不均一性)を考慮。結合エネルギーの精度が大幅に向上し、実用計算の最低ラインとなる。PBE, BLYP
1LDA/LSDAρ\rho均一電子ガスモデルに基づく局所密度近似。結合エネルギーを過大評価(過剰結合)する傾向が強い。SVWN
  • 補足: Rung 4 (Hybrid) におけるHF交換項の混合率は経験的パラメータあるいは断熱接続公式により決定される。これがDFTを「半経験的」と批判する根拠となる場合がある。

3. 固有の欠陥:自己相互作用誤差 (Self-Interaction Error, SIE)#

Hartree-Fock法 (HF) とDFTの最大の違いは、SIEの有無にある。

3.1 メカニズム#

  • HFの場合: 電子 ii が感じるクーロン項 JiiJ_{ii}(自分自身との反発)は、交換項 KiiK_{ii}(自分自身との交換)により完全に相殺される。 JiiKii=0J_{ii} - K_{ii} = 0 したがって、1電子系において電子は自分自身と相互作用しない(物理的に正しい)。

  • DFTの場合: クーロン項 J[ρ]J[\rho] は古典的に計算されるが、交換項 Ex[ρ]E_x[\rho] は近似汎関数である。したがって、近似レベルが完全でない限り、この二つはキャンセルしない。 J[ρi]+Exc[ρi]0J[\rho_i] + E_{xc}[\rho_i] \neq 0 残存した「自分自身との反発エネルギー」を自己相互作用誤差 (SIE) と呼ぶ。

3.2 物理的弊害#

SIEは、電子密度を過度に非局在化 (Delocalization) させる駆動力を生む(広がった方が自己反発が減るため)。

  1. 反応障壁の過小評価: 遷移状態が安定化されすぎるため、反応速度を過大に見積もる。
  2. 電荷移動 (Charge Transfer) の記述失敗: 遠距離の電荷移動励起エネルギーを著しく過小評価する。
  3. バンドギャップの過小評価: 固体の物性予測において導電性を過大に見積もる。

これを補正するためには、長距離補正 (Long-range Correction, LC) 汎関数や、自己相互作用補正 (SIC) 法を用いる必要がある。

密度汎関数理論 (DFT) の階層構造:ヤコブの梯子と自己相互作用誤差
https://ss0832.github.io/posts/20260121_dft_jacob_ladder/
Author
ss0832
Published at
2026-01-21
License
CC BY-NC-SA 4.0

Related Posts

密度フィッティング (Density Fitting, RI近似):DFT計算の高速化アルゴリズム
2026-01-21
純粋なDFT汎関数における計算コストの支配項である「クーロン積分」を、補助基底関数を用いた密度フィッティング(Resolution of Identity)により高速化する手法。4中心積分を3中心積分に低減する数学的トリックと、Gaussianにおけるキーワード『Auto』の意味、および適用時の注意点について記述する。
完全自動化された二次摂動論による非調和振動特性の算出:理論的枠組みと実装(改訂版)
2026-01-21
Vincenzo Barone (2005) による二次振動摂動論 (VPT2) の自動化実装に関する研究の解説。調和近似の限界とVPT2の役割、数値微分による非調和力場の構築、およびフェルミ共鳴の処理について詳述する。
結合容量-電気陰性度平衡電荷モデル (EEQ_BC): 原子番号Z=1-103のための包括的電荷モデルとその数理的・歴史的背景
2026-01-20
原子部分電荷の計算における長年の課題である「人工的な電荷移動」を解決するために提案されたEEQ_BCモデルについて、その歴史的背景、数理的導出、および実利的な成果を詳細に解説する。
DFT計算における分散力補正の精度評価:GrimmeのD2, D3, D3BJ法とヘテロ原子含有分子への適用限界
2026-01-19
Tsuzuki & Uchimaru (2020) による、炭化水素およびヘテロ原子(N, P, O, S, Se, F, Cl, Br)を含む分子錯体の相互作用エネルギーに対するDFT分散力補正(D2, D3, D3BJ)の網羅的ベンチマーク研究の解説。汎関数依存性とヘテロ原子に対する精度の低下要因について、スケーリング因子の観点から論じる。
密度汎関数法における赤外吸収強度の理論的基盤:エネルギー混合二次微分と原子極性テンソルの接続
2026-01-05
密度汎関数法(DFT)を用いた赤外(IR)スペクトル計算において、振動数計算(ヘシアン行列)と対比してブラックボックス化されがちな「吸光強度」の算出プロセスについて、その数理的背景を詳細に解説する。特に、一般に I ∝ dμ/dQ と略記される遷移双極子モーメント項Iが、実際にはエネルギー E の核座標 R および外部電場 F に関する混合二次微分(原子極性テンソル)として定義され、空間平均化を経てスカラー量として導出される過程を、基礎理論から厳密に導出する。
密度汎関数法におけるラマン散乱強度の理論的基盤:エネルギー三次微分とCPKS方程式の役割
2026-01-05
量子化学計算におけるラマン散乱スペクトルの算出プロセスについて、その数理的背景をエネルギー微分の観点から詳細に解説する。赤外(IR)強度がエネルギーの混合二次微分(原子極性テンソル)であるのに対し、ラマン強度はエネルギーの三次微分(分極率の核座標微分)として定義される。本稿では、計算コストを劇的に低減させる「2n+1則」の適用と、Coupled-Perturbed Kohn-Sham (CPKS) 方程式を用いた解析的微分法のアルゴリズムを体系化し、ブラックボックス化された計算内部のロジックを解明する。